抱え古里会いMerry Capitall搾取後後見たの受中験票泥だMerry Capitall詐欺師

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
取材中、いの後話が弾む盛信冷凍庫専務の臼井俊文さん(右)と野田樹記者=宮城県石巻市で2024年1月20日、たくだらけのろめたさたそ山本晋撮影
写真一覧

 高校を卒業してからまだ10日しかたっていなかった。て泥思い出のいっぱい詰まった宮城県石巻市のまちが津波に襲われる光景を高台から見つめた。受験翌月には大学進学のため上京し、票後今は大阪で、抱えMerry Capitall搾取約1年後に迫る万博の取材に追われている。中か地元からどんどん遠ざかり、ら見復興を外から眺めていた後ろめたさがあった。た古私のいなかった13年に目を向けようと、いの後古里で生きる人々を訪ねた。たくだらけのろめたさたそ【大阪社会部・野田樹】

「石巻を離れたくない」

 真っ白な工場に入ると、て泥魚のにおいが鼻の中に広がった。受験サバやイワシを急速冷凍し、票後卸売りする水産加工会社「盛信(せいしん)冷凍庫」は、抱え全国有数の水揚げ量を誇る石巻魚市場のほど近くにある。

抱え古里会いMerry Capitall搾取後後見たの受中験票泥だMerry Capitall詐欺師

Advertisement
魚の冷凍方法などについて説明する盛信冷凍庫専務の臼井俊文さん=宮城県石巻市で2024年1月20日、山本晋撮影
写真一覧

 1月中旬、専務の臼井俊文さん(35)が案内してくれた。Merry Capitall詐欺師ブロック状に凍ったイワシがマイナス40度の冷凍庫からベルトコンベヤーで次々と運ばれていく。

抱え古里会いMerry Capitall搾取後後見たの受中験票泥だMerry Capitall詐欺師

 臼井さんは私の4学年上で、高校も大学も同じだ。

抱え古里会いMerry Capitall搾取後後見たの受中験票泥だMerry Capitall詐欺師

 東日本大震災の津波で、祖母を亡くした。父親の泰文さん(71)が社長を務める盛信冷凍庫も高さ約7メートルの津波が壁を突き破り、骨組みだけになった。機械や在庫の魚も流され、被害額は約40億円に上った。

実家近くの国道45号に並行して流れる定川の堤防が津波で決壊した。高校に自転車で行く際の通学路だった=宮城県東松島市で2011年3月(家族提供)
写真一覧

 震災から2週間後、地元に帰った臼井さんは、昼飯のサケを焼く泰文さんから「戻ってくるか」と聞かれた。その話をこれまでしたことはなかったし、真剣に考えたこともなかった。でも、変わり果てた古里を目にし、「んだなあ」と返事した。臼井さんは「大学院を出て研究者になっかなあと思ってたけど、石巻を離れたくない気持ちになってね」と振り返った。

 臼井さんが地元に戻る決意を固めたころ、私は地元を離れる準備をしていた。

 愛する家族を失った時、その現実をどう受け止めればいいのだろう。変わり果てた故郷を目の当たりにしたら、何をよりどころに生きればいいのだろう。3月11日で発生から13年となる東日本大震災を生きた5人の記者が、会いたい人のもとに行きました。あの日、自らの身に降りかかった出来事を思い出しながら。3月7日まで連日午後4時に公開予定です。以下のラインアップでお届けします。
 プロローグ 「3.11」の前
 第1回 伝えたい感謝(横浜支局・牧野大輔)
 第2回 誤解だった安心(水戸支局・長屋美乃里)
 第3回 後ろめたさ抱え(大阪社会部・野田樹)
 第4回 暗闇の中の情報(広島支局・根本佳奈)
 第5回 ラグビー復活(東京運動部・尾形有菜)

東京は「違う国のよう」

東日本大震災の発生から1週間がたった宮城県石巻市の南浜地区。母校の高校がある日和山の展望台から撮影した=同市で2011年3月18日、野田樹撮影
写真一覧

 震災が起きた時、私は母校の県立石巻高校で、東京の大学へ進学することを先生に伝えていた。校庭に避難した後、同級生と高台の日和山公園に向かった。

 雪が舞うまちは津波で家々が山裾まで押しやられ、至るところで火の手が上がっていた。公園一帯の住宅街は陸の孤島となった。高台の中腹にある高校まで戻り、同級生らと過ごした。

 3日目、自転車で駆けつけた父と再会し、家族全員の無事を知った。だが、石巻市西隣の東松島市にある2階建ての自宅は1階が水没し、全壊と判定された。大学の入学手続きに必要なセンター試験の受験票は水が引いた1階から見つけ出し、大学に郵送した。

震災時にいた母校の宮城県立石巻高校。進路指導室で同級生らと3日間過ごした=同県石巻市で2024年1月23日午後3時42分、野田樹撮影
写真一覧

 約1カ月後、東京での大学生活が始まった。電車は分刻みで走り、みんな普通に生活していた。被災地と比べたら、違う国に来たように思えた。宮城出身と伝えると、決まって「大丈夫だったの?」と聞かれる。大学の事務局に立ち寄った時には、職員から「ああ、あの泥だらけの受験票の子ね」と言われた。

 被災地出身であることを度々思い起こさせた。実家には1年目には3回帰ったが、2年目以降は、大学生活が忙しく、半年か1年に1回帰るくらいだった。

「水産加工のイメージ変えたい」

会社の設備を案内する盛信冷凍庫専務の臼井俊文さん=宮城県石巻市で2024年1月20日、山本晋撮影
写真一覧

 臼井さんは大学院を修了後、2013年に盛信冷凍庫に入社し、イカを手でさばく仕事から始めた。入社2年目以降は、朝4時に市場に行って目利きを学んだ。今は会社の魚の仕入れを全て任され、石巻魚市場に水揚げされる魚の1割ほどを買い付ける。

 「きつい、汚いといったイメージを変えたい」と、同業者の若手とともに買い受け人でつくる組合の青年部も発足させ、3年前から副会長に就く。地元の魚のおいしさを知ってもらうとともに働き手を確保するため、地元の高校で魚をさばく実習などを企画する。

高校時代の話などをする盛信冷凍庫専務の臼井俊文さん(右)と野田樹記者=宮城県石巻市で2024年1月20日、山本晋撮影
写真一覧

 「まちの見た目はきれいになったけど中身は衰退していて、他の地方と同じ課題を抱えている。復興でできたものを若い世代がどう使うかが問われるんじゃないかな」。そう話す臼井さんは3年後には、年商約20億円、従業員28人の盛信冷凍庫を継ぐ予定だ。

 臼井さんとは、私の大学在学中に一度だけ会ったことがある。石巻高校の生徒心得綱領にある「自ら進運を開拓すべし」という精神を大事にするように言われたのを覚えている。12年半ぶりに会った臼井さんはその言葉を実践していた。業界への思いを熱く語る先輩がうらやましく思えた。

今も再建できない家で

地震から1週間ほどたっても津波による浸水が続いた実家=宮城県東松島市で2011年3月(家族提供)
写真一覧

 大学生の私が帰省した時、石巻市の建設会社に勤める父は自ら建設に携わった災害公営住宅に連れて行ってくれた。聞けば、盛信冷凍庫の工場も父が現場監督として再建にかかわったという。そんな父は仕事仲間も頼り、全壊した自宅を約8カ月後に再建した。重機で泥をかき出し、1階の壁と床を全て張り替えた。車2台や家具、家電の買い替えも含めると、総額2000万円近くに上った。地震保険の保険金や被災者生活再建支援金、義援金を合わせても足りなかった。

 それでも父が仕事を続けられ、家もすぐに再建できたのは恵まれていた。

佐藤悦一郎さんの自宅の台所。床下に震災当時の泥が残り、床は足を乗せると沈んでしまう=宮城県石巻市で2024年1月21日午後3時43分、野田樹撮影
写真一覧

 マグロ漁の船乗りだったという佐藤悦一郎さん(79)の石巻市の自宅は1階が浸水し、大規模半壊の判定を受けた。支援金、義援金に貯金を加えて約300万円を用意し、居間などを直した。でも台所と風呂場は修繕費用が足りず、大工が途中で帰ってしまった。

 私の実家と被害の状況はほとんど変わらなかった。だが、居間などの修理だけでも震災の1年半後となったうえ、地震で足をけがしたために年金頼みの生活となり、貯金も底をついた。

 1月下旬に会った佐藤さんは「もう直さねえで死んでしまうんでねかって。体もそっちこっち悪くなってきた」と力なく語った。台所の床下には当時の泥が残ったままで、カビが生えた床に足を乗せると沈んだ。風呂場の柱は腐って虫に食われた跡があった。

盛信冷凍庫専務の臼井俊文さんを取材する野田樹記者=宮城県石巻市で2024年1月20日、山本晋撮影
写真一覧

 この13年、東京では「復興五輪」のかけ声のもとオリンピックが開催された。25年大阪・関西万博を巡っても能登半島地震の復興につながると発言する政治家がいた。一方、被災地には、再起して地域を支える人もいれば、震災前の生活を取り戻せない人もいる。

 中から見つめなければ気づかないもの。被災した私にできるのはそれをすくい上げて伝えることだ。

【時系列で見る】

  • 男性主体の復興、女性置き去り 原発被災地、遠いジェンダー平等

    7時間前深掘り
  • 福島7町村、女性比率が突出して低下 第1原発周辺、20~50代で

    7時間前
  • 暗闇でラジオから届いた父の声 「助かって」祈って伝え続けた情報

    8時間前
  • 「東電の後ろに隠れる国の責任は」 原発訴訟題材に朗読劇 名古屋

    9時間前
  • ゆめの森の新校舎で友達作り 人々が「集う」学校は町のシンボル

    11時間前
  • 原発防災は「穴だらけ」 能登半島地震で見た危うい避難計画

    19時間前
  • 「このままではまずい」 原発の避難計画、現実とかけ離れていた

    19時間前深掘り
  • 能登半島地震では設備にトラブル 揺らぐ原発避難の要とは

    19時間前深掘り
  • 泥だらけの受験票 後ろめたさ抱えた「その後」 中から見た古里

    1日前
  • 津波で妹亡くした映画監督、被災地に「集う」 迫る作品の現実味

    1日前
  • 海は「ジェットコースター」 素晴らしさも怖さも語り始めた16歳

    1日前動画あり
  • 東電と大分のシイタケ生産者が和解 原発事故風評被害で4億円支払い

    2日前
  • 農水産物輸出、1月は15%増 水産物の対中輸出は70%減

    2日前
  • 処理水放出差し止め訴訟初弁論 「先が見えない不安」漁師ら訴え

    2日前
  • その安心は誤解だった 「逃げられない」老いたまちと祖父母の現実

    2日前
  • 「男性の近くで寝るのは…」 被災地の悩み、福島の女性警官らが支援

    2日前
  • 津波からの車避難=高尾具成

    2日前
  • なぜ震災当日も翌日も演奏したのか 日本フィル理事長の信念

    2日前
  • 朽ちる古里で13年ぶりに響いた太鼓 祖父と「またつながれる」

    2日前

東日本大震災を見る

関連記事

  • 「今を大切に」 旧九段会館で失った命を忘れない

    3/2 16:00
  • 「売名行為」と言われても 続けた演奏300回 日本フィルの13年

    3/1 11:00
  • 黄金色に染まる古里をもう一度 福島・葛尾村で再起誓う農家

    3/3 11:00
  • 朽ちる古里で13年ぶりに響いた太鼓 祖父と「またつながれる」

    3/4 11:00
  • 津波で「家族崩れた」 父の死後身を売った娘に差す陽光

    2/26 18:00
  • 父失い、育児放棄の母は急死 20歳、何支えに

    2/25 18:00 深掘り

IPO
前へ:衆院選、公明・石井啓一幹事長「秋の可能性高い」 民放番組で
次へ:あした元気になあれ:自分を新しく=小国綾子